| たわごと 「ラー紀と世の中と私の20年」 2006年~2010年 |
公開日:2020/05/10
ラーメン紀行誕生20周年を記念した多事笑論、「ラー紀と世の中と私の20年」。
今回は2006年~2010年について書いてみたいと思います。
私の当時の年齢は39歳~43歳。厄年を迎える訳でこの5年間は私的には結構色々あった頃ですね。
2006年
ラーメン紀行としては店舗数が500店舗を突破。
仕事が多忙で休日出勤と取材がセットになっていた時も多かった覚えがあります。
また、2003年から始まった「GW恒例ラーメンツアー」が開催できなかった年でもあります。
5月の「らぁめん がちや」の取材記(詳しくはコチラから)を読むと判るのですが、GWも休めず、3週間に渡り取材に穴を開けました。
世の中的にはこの年の3月一杯でニフティがパソコン通信サービスを終了。6月にTwitterが設立。12月にニコニコ動画がサービスを開始しました。
2007年
この年はラーメン紀行が初めて本州を出た記念すべき年だったのを覚えています。
会社の社員旅行で行った沖縄。2月の沖縄でしたが結構暑くて「流石は沖縄!」と思いました。
レンタカーを借りて、観光地は一切回らずのラーメン取材。途中で見た奇麗な海が印象的でした。
その旅行記は当時、多事笑論の「Viva 沖縄」(詳しくはコチラから)でご紹介しています。
そして、この年の5月。おかもちサーバーを捨て、新たなサーバーでラー紀が動き出します。
これを期に懸案事項であった「au携帯」への対応(絵文字の対応)や現在もご提供している「地図から検索」機能。そしてガラケーのGPS機能を使用した「周辺検索」などの検索を開始しました。
また、個人的にはダイエットに挑戦したのがこの年の10月からで、翌年の会社の健康診断までに標準体重の68㎏を目指しはじめました。
2008年
2008年は個人的な出来事としては本厄に突入し、結構色々な出来事がありました。
丁度700店舗目となった店を取材した日が私の誕生日だったのですが、ラーメンの中に輪ゴムが入っていてガッカリ…(詳しくはコチラから)
ラー紀的には昨年、新しくしたサーバーが壊れて、ハード環境を全て買い替えるという大出費!
「流石は本厄だ。」とラー紀の歴史には書いていますが実はこの後、本当に色々ありました。
昨年から始めたダイエットが完結し、33㎏の減量に成功したのもこの年。その詳細は多事笑論でもご紹介しました。(詳しくはコチラから)
2009年
2009年も個人的には色々ありました。
ラー紀的には昨年、ハードウェアを買い替えた新サーバーのマザーボードが壊れ、買い直して再構築することになりました。マザーボードってそうそう壊れない部品ですが1年持たないって流石に後厄…
個人的には初めて富士山に登ったのがこの年で、こちらの多事笑論でご紹介しました。(詳しくはコチラから)
そして、父親の食道がんが見つかったのもこの年の梅雨時でした。
富士山登山している時は父親のがん摘出手術が終わった後で父親は入院中。
その後、がん治療を拒否した父親を別の病院に転院させたり、毎週のように見舞った年でもあり、見舞いと取材を同時にこなしていた時期でもあります。
また、看病疲れで母親もメニエールという病気で入院。もう、生活が滅茶苦茶だったのを覚えています。
「本厄より後厄の方がキツい」と言われていましたが、本当にそう思いました。
2010年
ラー紀的には10周年を迎え、新たな検索機能「文字列検索」の提供を開始しました。
また、昨年から食道がんを患っていた父親が他界。この年の4月でした。亡くなる2日前の取材で「麺まるい」を取材したのですが、今も年末に飲み会とかしているラー紀の読者の方と店先で一緒に開店を待ったのを今でも鮮明に覚えています。
その2日後に他界。1週だけラー紀をお休みし、初めての葬式を執り行いました。今だから言えますが、亡くなったと聞いた時はホッとした自分がいました。正直、あまり好きではなかった父親なので、葬式では涙も出ませんでした。
普段はあまり話もしない父親でしたが、見舞いに通った半年間は人生で一番、父親と話をした時期でもありました。
「厄年」って「嫌なことが起きる年」と言われていますが、実は「役回りが変わる年」でもあるようで、私には「世帯主」という役回りがやってきました。
そんな後厄が起因するであろう出来事が全て決着した2010年が終わりましたが翌年、日本を襲う未曾有の大災害が待っているのでした。
(つづく)
